All Men Should Be  

(高橋博彦氏を追悼する)



ブログ「神州の泉」の主宰者であり、”国家は「有罪(えんざい)」をこうして創る”の共著者である高橋博彦氏が1月26日に逝去されました。

僕は種々の圧力により言論世界から退場を強いられ、公共での発言を封じられている身なのですが、高橋氏の死に際し追悼文すら綴ることができないのであれば、それはもはや人間の構造を解かれた洞(うろ)にも等しいのであり、ゆえに本稿が文字禍を招くとしても甘んじてそれを受け入れ、むしろ自身の存在証明として故人とその遺志について語りたいと思うのです。

高橋氏との交流はおおよそ3年にわたったのですが、互いにネットを通じて仲間や賛同者を募ろうなどという思惑もなく、まして何らかのイデオロギーを共有する同志的連帯感で繋がっていたわけでもありません。むしろ僕は右でも左でもなく、両者を止揚するポジションであるのに対し、高橋氏は鮮明に保守を打ち出し、つまり断固として右翼を自称したのですが、その姿勢には全くぶれがなかったと思います。

そもそも右翼の定義とは、伝統文化と重要国土の護持および国家企業と民族共同体の保守であるわけです。しかし論壇誌や右傾言論人が賛美する自民党政権とは、アメリカ公文書館の資料でも明記されているとおり、アメリカを本拠地とする多国籍企業の利潤誘導のため資金投入された傀儡政権であり、その前提においてこの国の保守とはいわば経済植民地のガジェットであり、つまり彼らは外国資本にカネをもらい売国を幇助する「偽装保守」に過ぎないわけです。

席巻するジンゴイズム(狂信的対外強硬主義)やエスノセントリズム(自民族だけが高潔であるという思想)あるいはゼノフォビア(排外主義思想)などの時代錯誤な思潮や、過激化する朝鮮民族への差別は決して自然発生したものではなく、原発事故や戦争国家構想など重大な内政問題に対する国民の注意を逸らすために仕組まれた現代のボクロム(ロマノフ王朝が権力維持のため実行した人種差別政策)なのです。

直言するならば、この国の右翼とは自衛隊を米軍の下部組織として再編成し、派兵や徴兵さらに武器輸出の世論合意を取り付け、終局的にコングロマリット(軍需、金融、エネルギーの複合企業)の利潤を最大化する装置としてビルトインされているのであり、すなわち人間のクズなのです。

かくも論壇が買弁(売国奴)集団と成り下がった時代において、高橋氏は最後の国士であり真の右翼であったと言えるでしょう。彼は保守というポジションを堅持しながらも決して自民族至上主義に堕ちることはなく、むしろ民族体系を突き放して凝視する冷眼を携え、現象群をアカデミズムから考察しようと努めたのであり、だからこそ彼の言論はイデオロギーを超越して説得力に溢れ、人の心を揺さぶるものであったと思うのです。

高橋氏がもっとも憂慮し訴求していたことは国家の植民地化でした。小泉政権を起点とする一連の改革とは日本国のプランテーション化を目論むものであり、すでにフリードマン(超搾取型経済主義)理論に基づき資本規制の撤廃(主要企業の外資化)、労働者の非正規化、多国籍企業の優遇税制と補助金の強化、医療・教育・福祉・年金の切捨て、フラット税制(消費税などの植民地税制)が達成されています。そしてついにはTPP批准と経済特区により商業条約が国家憲法を超越するという倒錯であり、実質として我々は主権を剥奪され奴隷民族に転落するのです。

このようなNFTC(全米貿易協議会)の侵略行為が独立国家の主権を定めた「ウェストファリア条約」に抵触することは明らかなのですが、米国とそのステークホルダー(利害関係者)が議決権を持つ国連議会においてそれが事実認定されるわけもなく、A・ネグリ的視点からすれば我々の体系は世界的コンセンサスとして「帝国」に併合されると言えるでしょう。

繰り返しますが論壇誌やネット右翼などの「偽装保守」が煽り立てる嫌韓論や嫌中論は、このような脅威本質から国民意識を攪乱するスピン(陽動作戦)なのであり、むしろ売国を幇助する人間のクズが愛国を騙る頽廃の時代であるからこそ、高橋氏の理性的な保守言論がひときわ光芒を放ったのです。

もし今なお高橋氏が存命であり、国家の現況について討論するとすれば、やはり論題は集団的自衛権行使にともなう自衛隊の海外派兵でしょう。そしておそらくイスラム過激派による日本人拉致事件は典型的な「ショック・ドクトリン(惨事便乗型外交要綱: 戦争やテロあるいは自然災害などの混乱・恐怖に乗じ、市場原理主義者が平時では成立困難な法律群を一挙に制定すること)」であると意見が一致するのだと思います。

ヒラリー・クリントンが公言するとおり、そもそもタリバンやイスラム国の母体であるアルカイダなどいわゆるイスラム過激派とは、冷戦終結によって共産国というアンチテーゼを喪失した軍産複合体が戦争市場を奮起するため育成した勢力であり、おおよそ彼らによるテロリズムそのものがフィクションであり壮大なマッチポンプ(需要創造行為)と言えるでしょう。

「テロとの闘い」を絶叫したブッシュ一族が主催する軍事投資会社カーライルに、9.11の首謀者であるビンラディンが莫大な出資金を投じ経営陣に名を連ねていたとおり、超現実世界はかくもダダイズム(概念破壊)的情景を本質とするのであり、我々はメディアが構造化する幻想の一大迷宮というマトリックスの住人なのです。

共同通信などが早々に内閣の高支持率を喧伝しているのですが、これによって政権はまんまと自衛隊派兵の世論合意を形成することが可能となりました。つまり「自衛隊海外派遣の恒久化法案を提出しようとしたら、たまたま偶然に日本人が拉致殺害される事件が起こり、挙国一致してテロ戦争に挑むことになった」という学芸会レベルのドラマツルギー(でっち上げ話)によって、日本民族は平和憲法を投げ捨て、公共事業化した中東戦争に参画し血を流すのです。

おそらく高橋氏も集団的自衛権の本質が「軍事のグローバリゼーション(自衛隊を米軍の下部組織として再編する)」という見解だったと思います。それはつまりオーリン財団やヘリテージ財団などいわゆる新保守系シンクタンクによって企画される米国の「予防戦争」に日本の若者が駆り出されることを意味するのです。

すなわち欧米資本が経済市場や天然資源を略奪するため、あるいは武器在庫を一掃するために我々の子弟が徴兵されるのであり、それはかつて宗主たるローマやイギリスが属国民を利用したとおり「支配民族が被支配民族を侵略戦争に投入する」という歴史の恒常現象であり、そのようなエゴイズムこそ大国の普遍的エートス(精神構造の支柱)なのです。

「シミュラクラ(疑似像)は全ての現実との接触に先行する」という言葉のとおり、GHQが制定したプレスコード(検閲体制)は未だ報道の全域で実効されているのであり、メディアに五感を欺かれる我々にとって事実の検証は極めて困難化した作業なのです。だからこそ「それによって誰が利潤を得るのか」という推論規則に立ち返り、情報の発信者が「何物に添い寝しているのか」を冷静に見極めなくてはならないのであり、集団思考のノイズや時代空気あるいは同調圧力に惑わされることなくアブダクション(仮説形成能力)を涵養しなくてはならないのであり、つまり懐疑的思考だけが知性の手掛かりであり、論者が論者たる最低の要件だと考えるのです。

このような前提において、高橋氏の逝去は論壇だけでなく全体社会にとっても極めて大きな損失と言えるでしょう。秘密保護法の施行に伴い言論世界が日々ごとにセメントアップされる中、もはや公共で発言を許される者は保守を偽装したプロパガンディスト(宣伝工作者)だけとなり、この国は捏造されたナショナリズムとともに「開戦論」に向け急傾斜しているのです。

それはナチズムが大衆の性向とともに成立したプロセスとも酷似し、すでに体制は多国籍資本が国家議会の下部構造として与するのではなく上部構造として君臨するという「反転した全体主義」であり、すなわち先の大戦を惹起した資本独裁そのものの形相なのです。現実として特定秘密保護法は「授権法(制定者が好き勝手に運用する法律)」であり、ナチスドイツの核心である 「全権委任法」と同一の中心理論を打ち立てるのであり、そしてそれは不可視だけれど着実に我々の身近に迫る脅威本質に他なりません。

高橋氏と僕との間に共通する論題とは、なぜかくもニホン人という群像が生存本能を逸失するほど頽廃し、すなわち精神解体され馴化(家畜化)したのか、その淵源とメカニズムの探究でした。そして我々が辿りついた結論とは国策として推進されたモボクラシー(反知識主義)が支配民族によるオペレーション(軍事作戦)であり、それは彼らが「低強度戦争」と定義する心理戦の一環であり、怒涛の如く流されるバラエティやワイドショーなどのコンテンツ群は、民衆の知性を退行せしめるアルゴリズム(算法表現)を孕んだ侵略のプログラムであるということです。

そもそも終戦より70年が経過する現在も国連憲章における「敵国条項」は解除されていないのであり、彼らにとって我々は対等者や同盟者ではなく、未だ憎悪と搾取の対象であり、すなわち 「人間と見なされてはいない」という実相を冷めて正視すべきでしょう。おそらく我々が致命的に欠落しているのはそのような対決的視点なのです。

東日本大震災と原発事故が協奏する人類未曾有のカタストロフによって民衆が苦しみ喘ぐこの時代、彼らは直近の1年で国税・地方税の合算額に相当する70数兆円もの社会資本を(海外援助名目等で)国外に持ち出したとおり、プランテーション住民の福祉や生命など全く関心の埒外なのであり、むしろ支配世界において国民国家の持続可能性などという概念は成立し得ないのです。

僭越ながら、高橋氏が身を挺して皆様方に伝えたかったことは、おおよそ以上のことではなかったかと推論し私見を交えながら追悼文としてまとめた次第です。あらためて彼の言説は排外主義者や偽装右翼のそれとは全く一線を画し、あまたのエピグラム(警句群)と深い洞察そして人間愛に満ちた正統の保守言論だったと思うのです。


    

高橋博彦さん


貴方が故人となった今では頂いたメールの一つ一つが審問のように重くのしかかるのですが、弾圧法によって口を封じられた僕はそれに答申する術がありません。しかし入院の瀬戸際まで無私の言論発信を続け鬼籍に入られた貴方を想うと、「沈黙は悪の共犯である」という言葉が激しく軋むのであり、だからせめて本稿の公開をもって喪の作業とさせて頂きました。

貴方は右翼者を貫き、僕は止揚者であり、我々は交わることのない漸近線上で討論を重ねたのですが、それでいて同じ思想の肉を共有するシャム双児のようでもあり、互いが互いの中に互いを見出していたのであり、貴方という次元を喪失した僕はこれからゆっくりと痛覚するのです。


                                                                                                 響堂雪乃


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憲法第21条: 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
                             

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